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2012-04-14
ど真剣に生きるって
今日の茂木健一郎氏の連続ツイートで、友人の田森佳秀という人の事を紹介されていた。
ちょっと引用させてもらおう
(1)田森佳秀(@Poyo_F)のことをよく知らない人もいるかもしれない。私の畏友で、一緒にサンクトペテルブルクに行ったりした。田森は、今、金沢で大学の先生をやっている。忙しいはずなのだが、その日常は驚くべきものである。
(2)世の中には、こんな人間もいるのだ、ということを知るだけでも読者諸賢の参考になるだろう。もう二十年以上つきあっている私も、未だに驚くことがあるのだ。ツーソンに来て、一緒にご飯を食べているとき、田森は、突然、「オレ、モールス信号の資格持っていたんだった」と言った
(3)自分でモールス信号を生成して、それを文字に直す。それをコンピュータに入れて、正しいかどうか自動判定するソフトを試験前日に作って、一夜漬けで勉強して資格をとったという。こういう「大ネタ」を無数に持っているのが、田森佳秀(@Poyo_F)という男なのである
(4)ガイガーカウンターを作っているらしい、ということは知っていたが、先日会ったら、「あれから十種類試作した」という。そのうち一番いいのはなんとかという塩を使うやつで、ガンマ線が通ると光が出て、素子でカウントするんだそうだ。「最初は学生に数えさせようとしたんだけど」と田森
(5)ツーソンに来て、エクセルのデータを解析するのにUIが悪くてぶさくさ言ってたら、田森が妙に詳しい。どうしてだ、と問い詰めたら、大学の試験は、エクセルで入れて、数字と文字列を判定して自動採点するのだという。試験のやり方を聞いて私はのけぞった。田森は底知れず恐ろしいやつだ
(6)となりの学生の回答を覗いているやつがあるというクレームが来たので、田森は、すべての学生の問題用紙をオーダーメイドにしたのだという。「学籍番号から、ランダムに問題を並べるんだ」「え?」「問題用紙にそれぞれの名前が印刷されているから、自分のを見つけて回答しろと指示する
(7)「お前なあ、お前のまわりで、そんな面倒なことしているやついるのか?」「いない」orz 。アルゴリズムを緻密に実装する、その工数を全くいとわないところに、田森佳秀(@Poyo_F)の恐ろしさがある。週に10コマも授業をして、会議にも出て、なんでそんなにいろいろできるのか
(8)「お前、サヴァンだろう」というと、田森は、「そんなことはない」という。しかし、私は知っている。理化学研究所にいるとき、ある高名な脳の研究者が、「ああいう人の脳はね・・・」と田森のことを言っていた。田森佳秀の脳は、私が出会った中でもいちばんユニークなものの一つである
(9)いくらでも大ネタが隠れているから、学会に来て、田森とずっと話していても全く飽きない。鹿島神宮にある、地面から出ている部分は小さいけれども、どんどん掘っていくと大きくなって際限がない。そんな男が、わが畏友田森佳秀である。その全貌は、未だにわからない。
昨日テレビを見ていたらアマゾンの奥地で昔からの伝統を守りながら生きている狩猟民族の人たちを紹介していた。町まで4日以上かかるような奥地で毒蛇やピラニア、ワニなどもいるようなところだ。
ここでは、おなか一杯になる食料があるわけではないし、食べるものにありつけるかどうかも判らない
そこで、儀式というものがある。
狩猟に行く前や成人する時に必ず行う。
そしてこれは苦痛を伴うものもある
女性の成人の儀式では、皆によってたかって髪の毛を引っこ抜かれるのであるが、これに耐えなければならない。
これがいいとか悪いとかではなく、この人たちには過酷な状況の中で、生きるために精神的な心の持ちよう考えようとして、こういう体験が必要であるから続いているのだろう
いや、何が言いたかったかというと田森という人も、狩猟民族の人たちも生きるということに対して凄くど真剣に向き合っているという点で共通しているという、一見まったく真逆の生活なのに、「あっ同じ事か!」と思ったもので!
生きるってそういうことですね!
ちょっと引用させてもらおう
(1)田森佳秀(@Poyo_F)のことをよく知らない人もいるかもしれない。私の畏友で、一緒にサンクトペテルブルクに行ったりした。田森は、今、金沢で大学の先生をやっている。忙しいはずなのだが、その日常は驚くべきものである。
(2)世の中には、こんな人間もいるのだ、ということを知るだけでも読者諸賢の参考になるだろう。もう二十年以上つきあっている私も、未だに驚くことがあるのだ。ツーソンに来て、一緒にご飯を食べているとき、田森は、突然、「オレ、モールス信号の資格持っていたんだった」と言った
(3)自分でモールス信号を生成して、それを文字に直す。それをコンピュータに入れて、正しいかどうか自動判定するソフトを試験前日に作って、一夜漬けで勉強して資格をとったという。こういう「大ネタ」を無数に持っているのが、田森佳秀(@Poyo_F)という男なのである
(4)ガイガーカウンターを作っているらしい、ということは知っていたが、先日会ったら、「あれから十種類試作した」という。そのうち一番いいのはなんとかという塩を使うやつで、ガンマ線が通ると光が出て、素子でカウントするんだそうだ。「最初は学生に数えさせようとしたんだけど」と田森
(5)ツーソンに来て、エクセルのデータを解析するのにUIが悪くてぶさくさ言ってたら、田森が妙に詳しい。どうしてだ、と問い詰めたら、大学の試験は、エクセルで入れて、数字と文字列を判定して自動採点するのだという。試験のやり方を聞いて私はのけぞった。田森は底知れず恐ろしいやつだ
(6)となりの学生の回答を覗いているやつがあるというクレームが来たので、田森は、すべての学生の問題用紙をオーダーメイドにしたのだという。「学籍番号から、ランダムに問題を並べるんだ」「え?」「問題用紙にそれぞれの名前が印刷されているから、自分のを見つけて回答しろと指示する
(7)「お前なあ、お前のまわりで、そんな面倒なことしているやついるのか?」「いない」orz 。アルゴリズムを緻密に実装する、その工数を全くいとわないところに、田森佳秀(@Poyo_F)の恐ろしさがある。週に10コマも授業をして、会議にも出て、なんでそんなにいろいろできるのか
(8)「お前、サヴァンだろう」というと、田森は、「そんなことはない」という。しかし、私は知っている。理化学研究所にいるとき、ある高名な脳の研究者が、「ああいう人の脳はね・・・」と田森のことを言っていた。田森佳秀の脳は、私が出会った中でもいちばんユニークなものの一つである
(9)いくらでも大ネタが隠れているから、学会に来て、田森とずっと話していても全く飽きない。鹿島神宮にある、地面から出ている部分は小さいけれども、どんどん掘っていくと大きくなって際限がない。そんな男が、わが畏友田森佳秀である。その全貌は、未だにわからない。
昨日テレビを見ていたらアマゾンの奥地で昔からの伝統を守りながら生きている狩猟民族の人たちを紹介していた。町まで4日以上かかるような奥地で毒蛇やピラニア、ワニなどもいるようなところだ。
ここでは、おなか一杯になる食料があるわけではないし、食べるものにありつけるかどうかも判らない
そこで、儀式というものがある。
狩猟に行く前や成人する時に必ず行う。
そしてこれは苦痛を伴うものもある
女性の成人の儀式では、皆によってたかって髪の毛を引っこ抜かれるのであるが、これに耐えなければならない。
これがいいとか悪いとかではなく、この人たちには過酷な状況の中で、生きるために精神的な心の持ちよう考えようとして、こういう体験が必要であるから続いているのだろう
いや、何が言いたかったかというと田森という人も、狩猟民族の人たちも生きるということに対して凄くど真剣に向き合っているという点で共通しているという、一見まったく真逆の生活なのに、「あっ同じ事か!」と思ったもので!
生きるってそういうことですね!
2012-04-12
手彫り京製位牌

菩提寺で大切に使われてきた木を使ってお位牌を作れないでしょうか、と依頼がありました。
ご両親のお位牌の作り替えのようです。
かなり虫が食っており、目も粗く商品としては位牌に向いた木ではないですが、思い入れのあるご様子でしたのでさせて頂く事にしました。

木地の状態でこんな感じになります。
形はご先祖様のものとそろえたいとの事でした

そして、本漆で塗り、蒔絵をし、金箔を押し完成しました。
但し納期は6ヶ月ほど頂きました。
最近は位牌メーカーで大量生産したものが多いので、なかなかこのような手作り手彫りで作って欲しいという依頼は少ないです。
でも、このようにこの木を使って欲しいとかこういう風にして欲しいという希望には叶えることができます。
49日までにお位牌が欲しいというのもわかりますが、手作り手彫りとなるとなかなかそうは行かないのが現状です。しかしずっと拝み続けていただくものですから、気持ちのこもったものを作るためならその方が、少しくらい間に合わなくても数ヶ月くらいは仏様も許してくださると思うのですが・・・いかがでしょう
写真ではわかりづらいかもしれませんが、やっぱりいいですよ、これ!
不謹慎かもしれませんが、たぶんにやけます(o^-^o) ウフッ
2012-03-24
こんなものが出てきた


ちょっと調べ物のために書庫を探していたらこんなものが出てきた
私の祖父がお世話になっていた「高橋鐘聲堂」謹製の「大梵鐘鋳造記念」冊子だ
昭和10年竣工の大梵鐘で、口径九尺二寸、高さ十三尺七寸、使用銅合金重量13200貫(約50t)もの物凄くでかい物だ
これは、旧制武蔵高等学校を創立した「根津嘉一郎」という人が、埼玉の朝霧という場所に大寺院と仏教(僧侶)学舎、そして自然公園を作ろうと発願し、当時の仏具師第一人者であった高橋才冶郎氏が共感し作ったそうである
しかし残念なことに、その後の太平洋戦争時に国から強制的に軍需物資として提供させられたため、当時完成していた大仏の原型とともに今はもう見ることができない
当時弐拾萬円もの巨費をポンと出し、「これで鐘を頼む」「よし、引き受けよう」と契約書無しでお互いに腹と腹との契約だけで済ませたというのが自慢だったようだ
お互いの心意気というやつですかねえ
こんなん好きですねえ(今じゃ考えられないつながりですねえ。)(あっ、でも東日本大震災では多くの人が巨額のお金を提供されている人もたくさんおられたからまんざらでも無いか うん!)
根津嘉一郎氏の発願経緯は以下のごとくです
『大寺院の建立と思想の善導
日本人は敬神崇仏の念に富み、儀礼を重んずる国民である。ところが近来、無神論者などと云う極端な唯物主義者が現れて、我国の美風良俗を破壊しようとした。この険悪な風潮が此儘で放置され無神論の現れた結果は、我国の思想を悪化し、思想界に混乱を来たした。このまま放置しては現代社会に及ぼす影響は誠に恐ろしい。思想を善導するため、昭和十年私は埼玉県朝霞に、一大伽藍の建立に着手した。第一に社会教化の任に当たるのは仏教の僧侶であると信じている。一般の思想を善導するには、教育家や思想家も必要であろうが、大衆に接して、大衆を教化し善導する者は寺の僧侶が適任だから、私はまずそれには、寺の僧侶から教育する必要があると考えた。宗教学校を建てる以上は、寺院も同時に建立するに越した事はない。僧侶と大衆との結合する機縁が多くなる。出来るだけ多くの参詣人を集めて、その効果があがるような寺院を建立したいと期待したのである。他方では修養の道場となる寺院を望んだわけである。東京付近で静平閑雅な土地を条件に各地を選んだ。やっとの事で、埼玉県朝霞に八万坪の土地を得て、私の理想とする大寺院の建立に取掛かる事が出来た。朝霞の寺院には、鳴る鐘としては日本一の大釣鐘や奈良の大仏殿以上の大きい大仏殿を拵えて名勝遊園地たらしめ、大衆が杖を引いて遊びながらにして宗教心を起こし得るような宗教道場たらしめたいと思っている。
(根津嘉一郎著 世渡り体験談 昭和13刊) 』
おじいさんも関わった大梵鐘みたかったなあ!残念なことです。国の宝になったのに!
余談ですが、お使いの仏具に「高橋鐘聲堂」または「高橋才冶郎商店」の銘の入ったものは大事にしてください
店主をはじめ目の肥えた番頭さんたちが目を光らせ作らせたものばかりですので、出来は素晴らしいものばかりです
正直今作ってくれといわれてもかなり骨の折れるものばかりですから!
2012-03-01
2012-02-29
実質だけに全力を注ぐ
今日のツイートで茂木さんがおもしろいことを言っていた。「実質だけに全力を注ぐ」です。
人のスピーチの話なのでけども、もちろん上手い下手はある。それよりも、くだらない話をする人が多いので困ったもんだ。特に子供たちの前で胸に赤い花をつけた来賓が壇上に現れ、どうでもよいような話が長々と続く挨拶。
確かにねえ。挨拶が悪いわけじゃないけど中身の無い挨拶は意味無いわな。
痛くない注射針を作った町工場のおっちゃんがスピーチを頼まれる時こう言っていた。
何人かの人が順番にスピーチをするときに、一番バッターで出てくださいといわれた時、「いいけど後の人にきのどくだよ」と。
つまりこのおっちゃんもスピーチは「聞きに来てくれた人のためにならないかん!意味が無い!時間の無駄や!」と思ってはるんですね、たぶん。だからやっぱりスピーチもはじめからいきなりトップスピードで入っていかはるわけです。それに私たちにも関わる身近なものの話でもあるから皆とても興味があるしまたとてもおもしろい。
それにくらべて、そのあと学者さんやえらい先生がスピーチをしても、はじめはお決まりの挨拶から入るから既にこの時点で、聴衆の人は「つまらない」と思ってしまい最後まで盛り上がらない。
なんか形式ばかりの無駄が多すぎる。
(別に私はすべて無駄が悪いとは思っていない、逆に必要な無駄はあると思っている。無駄というより自動車のハンドルのような遊びやね。これは必要」
仕事でも遊びでも人間関係でもそうやけど、実質だけに全力を注いだほうが有意義だしおもしろいし、何より疲れない。それにあれこれとどうでもいいことに悩むことも無くなると思う。なぜなら楽しいから。
といっても私もあれこれ悩んだり、疲れたりしてるんですけど。
でもこういう「実質だけに全力を注ぐ」という言葉を聞いたりすると、はっと気づいて、今自分が悩んでいることは実質ではなくどうでもいいことのほうじゃないのと思い当たるふしもある。
それに気づくと気分が楽になるから不思議。
こういう言葉を教えてくれる人がいるというのはありがたいです。
人のスピーチの話なのでけども、もちろん上手い下手はある。それよりも、くだらない話をする人が多いので困ったもんだ。特に子供たちの前で胸に赤い花をつけた来賓が壇上に現れ、どうでもよいような話が長々と続く挨拶。
確かにねえ。挨拶が悪いわけじゃないけど中身の無い挨拶は意味無いわな。
痛くない注射針を作った町工場のおっちゃんがスピーチを頼まれる時こう言っていた。
何人かの人が順番にスピーチをするときに、一番バッターで出てくださいといわれた時、「いいけど後の人にきのどくだよ」と。
つまりこのおっちゃんもスピーチは「聞きに来てくれた人のためにならないかん!意味が無い!時間の無駄や!」と思ってはるんですね、たぶん。だからやっぱりスピーチもはじめからいきなりトップスピードで入っていかはるわけです。それに私たちにも関わる身近なものの話でもあるから皆とても興味があるしまたとてもおもしろい。
それにくらべて、そのあと学者さんやえらい先生がスピーチをしても、はじめはお決まりの挨拶から入るから既にこの時点で、聴衆の人は「つまらない」と思ってしまい最後まで盛り上がらない。
なんか形式ばかりの無駄が多すぎる。
(別に私はすべて無駄が悪いとは思っていない、逆に必要な無駄はあると思っている。無駄というより自動車のハンドルのような遊びやね。これは必要」
仕事でも遊びでも人間関係でもそうやけど、実質だけに全力を注いだほうが有意義だしおもしろいし、何より疲れない。それにあれこれとどうでもいいことに悩むことも無くなると思う。なぜなら楽しいから。
といっても私もあれこれ悩んだり、疲れたりしてるんですけど。
でもこういう「実質だけに全力を注ぐ」という言葉を聞いたりすると、はっと気づいて、今自分が悩んでいることは実質ではなくどうでもいいことのほうじゃないのと思い当たるふしもある。
それに気づくと気分が楽になるから不思議。
こういう言葉を教えてくれる人がいるというのはありがたいです。
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